東京地方裁判所 昭和59年(刑わ)3331号 判決 1985年3月13日
主文
被告人を懲役一〇月に処する。
未決勾留日数中七〇日を右刑に算入する。
押収してあるわいせつ写真誌一七一冊(昭和五九年押第一、七二三号の1ないし171)及び東京地方検察庁倉庫に保管中のわいせつ写真誌一、四六八冊(領番号は別紙のとおり)を没収する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、下田二三雄と共謀のうえ、販売の目的で
一 昭和五九年一〇月二日、東京都豊島区西池袋一丁目三七番地先路上に駐車中の普通乗用自動車内において、わいせつ図画である男女の性交場面及び女性陰部等を露骨に撮影した写真を掲載した写真誌九六冊を、
二 同月四日、同都北区田端四丁目三番一号田端ビル二〇四号株式会社映研において、わいせつ図画である前同様の写真誌一、五四三冊を
所持したものである。
(証拠の標目)《省略》
(確定裁判)
被告人は、昭和五九年九月一八日東京地方裁判所でわいせつ図画販売目的所持罪により懲役一〇月(執行猶予三年)に処せられ、右裁判は、同年一二月二七日確定したものであって、この事実は、昭和五九年九月一八日宣告の判決書謄本及び検察事務官作成の別事件裁判確定通知書謄本によって認める。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法六〇条、一七五条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、右は前記確定裁判のあったわいせつ図画販売目的所持罪と刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ない判示わいせつ図画販売目的所持罪について更に処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一〇月に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中七〇日を右刑に算入し、押収してあるわいせつ写真誌一七一冊(昭和五九年押第一、七二三号の1ないし171)及び東京地方検察庁倉庫に保管中のわいせつ写真誌一、四六八冊(領番号は別紙のとおり)は、判示犯行を組成したもので被告人以外の者に属さないから、同法一九条一項一号、二項を適用してこれらを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人の負担とする。
(補足説明)
弁護人は、①判示一で認定したわいせつ写真誌九六冊中五冊は見本誌である、②判示二で認定した一、五四三冊中昭和五九年八月以降に仕入れたわいせつ写真誌の売れ残り分五九三冊を除くその余の九五〇冊については出版元への返品の目的で所持していたものと既に出版元が倒産して返品できない古本及び前件で上野警察署が押収しないで、株式会社映研に残していったものがある、以上はいずれも現実に販売しないものであるから、販売目的がなかった疑いがある旨主張するので以下判断する。
1 判示一の事実中五冊が見本誌であるとの主張について
前掲関係各証拠によると、株式会社映研はビデオテープ、ビニール本の販売を目的とする会社で、代表者は被告人であるが、実際のビニール本の販売は、営業担当の下田二三雄が行っていた。判示一については、下田が小売店に売り込みにいく途中で現行犯逮捕された際、わいせつ写真誌五冊(昭和五九年押第一、七二三号の1ないし5、以下たんに「右五冊」ともいう。)を紙袋に入れた状態で、その余のわいせつ写真誌九一冊と共に所持していた。右五冊は、小売店に売り込みに行く際見本の用に供するものであり、これらについては出版元から見本誌としてきたものであり、ビニール袋に入っていないが、内容や装丁は販売用の写真誌と全く変わりがないものである。これらの事実が認められる。そこで右五冊の所持に関し刑法一七五条後段にいう販売の目的が肯認できるかどうか考察するに、下田が見本誌とした右五冊は前記のとおり、その内容、装丁は販売対象としているわいせつ写真誌と全く同一であり、それ自体を他に販売するものではないにしても他の写真誌の販売の手段として用いられるものであるほか、下田の供述にもみられるように仮りに販売すべき写真誌の冊数が不足した場合には見本誌を含めて売る場合もありうるのであり、状況のいかんによっては随時販売対象にもなりうる性質のものであることが認められる。もっとも、これら見本用のものは当面ビニールで包装されていないことから、即座に販売対象とするには不都合な面もないではないが、ビニール包装じたい、本来販売目的の有無を左右することがらではなく、仮りに販売のためビニール包装が必要であったとしても、株式会社映研事務所には、ビニール封印機も存在していたのであり、右状況の変化に対応しうる設備を備えていたことも明らかである。以上のように当面は見本用として販売促進に供されているものであっても、それが他の写真誌の販売促進のためであり、それ自体も絶対的に販売に供される余地がないと解されない本件の右五冊については、他の九一冊と同様前記法条の販売目的は肯定されると解する。
2 判示二の事実中、昭和五九年八月以降に仕入れた写真誌の売れ残りの在庫である五九三冊(弁護人において自認し、伝票類綴(写)からも認められる。)を除く、その余の九五〇冊の写真誌中に、返品目的で所持していたものや、返品できない古本さらに前記上野警察署が前件につき押収した際押収を免れたものが含まれていて、これらについては販売の目的がなく犯罪が成立しないとの主張について
(一) 前掲関係各証拠によれば、判示二事実のわいせつ写真誌一、五四三冊の押収の経緯は次のとおりであることが認められる。即ち、昭和五九年一〇月四日株式会社映研の事務所がある前記田端ビル二〇四号室において、警視庁池袋警察署の司法警察員吉田榮一は、被告人立会の下に右写真誌の押収手続を進めたが、被告人の説明のもとに、右二〇四号室六畳間(司法警察員作成の昭和五九年一〇月四日付差押調書添付の株式会社「映研」事務所内と題する見取図中、出入口に近い六畳間。以下たんに「六畳間」という。)に置かれたわいせつ写真誌については販売目的があると認め同見取図記載の①点から一、三八〇冊、同記載の②点から五〇冊を押収し、更に同見取図中流し台前の③点にあるもののうち、右六畳間にある写真誌と同タイトルでかつひもで縛った状態にあった一一三冊につき被告人から販売の目的があることを確認して押収したこと、その外にも、同見取図流し台前の③⑦の場所に前記押収対象となったもの以外のわいせつ写真誌が種々のタイトルが混合した状態でダンボール箱などにこん包されて山積みされており、これらの写真誌については、被告人が小売店から返品となったもので出版元に返すものである旨述べたので、その意向に従い、押収対象とせず任意提出を受けるにとどめ、これによるわいせつ写真誌が二、三六一冊(一六〇種類)あったこと、以上が認められる。そして前記一、五四三冊(判示二の認定事実に該当)については、被告人も検面調書中で、販売の目的で所持したものであることを認めている。販売の目的の有無につき経営者である被告人の意思を差し置いて、共犯者下田の意思のみにより決定されると解すべき根拠は存しないから、右被告人の説明により販売の目的があると認めて押収した右一、五四三冊中には販売の目的の存しないものはないといわねばならない。しかるに証人下田は当公判廷で、前記押収にかかる一、五四三冊中に、小売店から返品されたもの及び前件の上野警察署の捜索の際発覚していたが返品すべく所持していると主張し押収を免れたまま置いてあった写真誌が含まれていることが押収品目録を見て気付いた旨供述するところでもある。そこで、下田が出版元へ返品する目的で所持していたと供述するものについて検討するに、前掲の関係各証拠によれば、返品されてきたわいせつ写真誌とは、被告人らが小売店に対して販売したわいせつ写真誌が、結局小売店で売れ残って卸売業者である株式会社映研に返品されてきて、これを同社がある程度の冊数がまとまって出版元に返品するまで所持していた状態にあったもののことであり、そして、これら返品されてきたものについては、再度これを小売店に向けて販売したことはなかったというのである。しかし右のような状態における被告人らのわいせつ写真誌の所持が、前記法条にいう販売の目的を否定することにはならないと考えられる。即ち、被告人は元来わいせつ写真誌等を出版元から仕入れ、小売店に売るという卸売業者であって、たとえ、小売店に卸したわいせつ写真誌が売れ残った等の理由で返品されてきたとしても、被告人らが、継続してその後もこれらわいせつ写真誌の販売を行う限り、返品されてきたこと故に、その返品されたわいせつ写真誌について販売の目的を失う契機は何も存しない。ことに本件各わいせつ写真誌のごときは出版時を問題とする月刊誌、週刊誌の類とは異なり、内容の新旧は問題にならず、いつでも需要がありさえすればすぐそれに向けることができる性質のものである。返品されてきたわいせつ写真誌について、被告人らが再度小売店に販売しないというのは、新刊本が続々と出され、又返品分については出版元に相応価格で新刊本の仕入値と差引き勘定の形で引き取ってもらえることから、返品のものをあえて売り尽す必要はないこと等の理由によるものとみられ、被告人らが返品されたものについては販売の目的を放棄したというものではない。証人下田が「(返品されたものは)売らないと考えているわけではなく、そういうものでも売れば売り上げが伸びますので、そういうお客さんがあれば出すかもしれません。」と述べるところは、右の事情を語るものと解される。
さらに右一、五四三冊の保管状況をみると、前掲関係各証拠から明らかなように、いずれも弁護人において新刊本と称して被告人が前件の保釈後に仕入れたことを認める前記五九三冊の写真誌と渾然とした状況の下で、前記二〇四号室の六畳間及び流し場前の付近に置かれていたもので、返品分として出版元に返還される物であるとして他の新刊のもの(現在小売店に販売中のもの)と識別して保管する等の方法もとられておらず、被告人自身新刊のものとの識別は出来ず、下田においてすら、後に押収品目録のタイトルをみて、やっと判別しているという状況である。(更に厳密にいえば、被告人らが継続して取引している小売店は数多くあり、又これまで取引のない新規の小売店にも下田が飛び込みで売込みに行くことがあることをも考えれば、返品されてきたものと同一タイトルのものを返品分とは別個に在庫分として残すことも考えられるのであり、タイトルが同一であることのみをもってしては、これがすべて返品にかかるものと断定することはできない。)
以上のとおり、被告人及び下田のわいせつ写真誌所持の意図及び写真誌の保管状況に照らし、小売店から返品されたとするもの(返品できないものも含む。)がかりに本件一、五四三冊中に含まれていることがあっても、当該のものにつき本件犯罪の成立を否定することはできない。
(二) 次に上野警察署が前件について押収しなかったものが本件一、五四三冊中に含まれているとする主張について。
証人下田の供述によると、上野警察署が被告人の前件(後記確定裁判として示す事件)で押収した際、クラウン企画に返品するものであると主張して押収を免れたわいせつ写真誌が二、三百冊あったが、それらの写真誌は本件一、五四三冊中には含まれていない旨検察官の取調べの際供述しながら、当公判廷では押収を免れたものが含まれている、それは「濡れ濡れ性戯」等四種類の写真誌(以下「右四種類の写真誌」ともいう。)である旨述べる。しかし、仮りに右下田の供述どおり右押収を免れたものが本件一、五四三冊中に含まれていることを前提にしても、(一)で説明したように、返品目的として所持していたものにつき販売の目的が認められる点については、他の返品にかかる写真誌と全く同様に解され異なるところはない。(なお、被告人に対する前件の判決―昭和五九年九月一八日宣告、同年一二月二七日確定―の認定事実との関係について述べると、前件の事実は昭和五九年七月二七日におけるわいせつ写真誌八八九冊の所持事案であるところ、当時同一の意思の下に所持したわいせつ図画については、これと一罪として、右判決の一事不再理の効力が及ぶ関係にあると解せられる。ところで、関係各証拠によれば、被告人は、前件の起訴後同年八月一六日保釈を許された後の同年八月下旬頃、再びわいせつ写真誌の販売を決意して下田と共謀のうえ出版元からわいせつ写真誌を仕入れ、かつ販売も再開したことが認められる。そうすれば被告人については前件とは別個の新たな犯意で本件犯行に及んだものである。前記認定した映研におけるわいせつ写真誌の保管状況からみれば、右四種類の写真誌は返品用といいながら、その後新らしく仕入れた写真誌と画然として保管されたものではなく、全く渾然とした状態で占有されていた(又前件の押収から今回の押収時までは二か月余が経過している。)ことが認められる。以上のような事情を前提にすれば、被告人及び下田は、新たな犯意で、右四種類の写真誌についても、販売目的で自己らの支配力を及ぼしているものであって、右判決で認定された事実とは一罪関係に立つものではないことが認められる。)したがって仮りに右四種類の写真誌が前記のいわゆる押収を免れた物であったとしても本件の犯罪対象物件たるを免れない。
(量刑の事情)
被告人の本件犯行は、販売目的を有した大量のわいせつ写真誌所持の事案であるが、前回の同種事犯に係る保釈後間もなくわいせつ写真誌の販売を再開し、その後執行猶予の判決を受けながらも何ら反省のあともなく本件犯行に至ったものであってその刑責は重く、再犯の虞なしとしない。右販売の再開については下田らの意見に押されたごとき事情もうかがわれないでもないが、自己が同種事案で保釈中の身であることを忘れた、極めて安易かつ軽率な行動であり、強い非難に値する。その後本件での審理に際しては反省の態度を見せていること、前刑の執行猶予の取消が予想されることなど被告人に有利とすべきすべての事情を斟酌しても、主文程度の刑に処するのはやむをえないところであると判断した次第である。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 片岡博)
<以下省略>